東京スカイツリー!!

株式会社カワダ の ナノブロック 製 でおます。
約500ピース、製作時間約3時間でした。
なんだかゆがんでいるのは私の技術力が大林組にはるかに及ばないからであります。
いっちょまえにこれ、ライトアップもできるのだよ。

さて、ここにきて私の中ではスカイツリーが一大マイブームです。
だって、チケットが手に入って、
もうすぐあの上に登れるんだよ!!!
この方 のおかげです。
感謝感激。。。。。。。。。。。



















































仁和(にんわ)寺に、ある法師(ほふし)、
年寄るまで、石清水を拝(をが)まざりければ、心うく覚えて、
ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。
極楽寺・高良(かうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、
「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。
そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、
神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」
とぞ言ひける。
すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり
仁和寺(にんなじ)のある法師が、年をとるまで石清水を拝んだことがなかったので、
それを残念に思って、ある時、思い立って、ただひとり、徒歩で参詣した。
ところが彼は、極楽寺や高良(こうら)社などを拝んで、
これで願いがかなったと思い込んで帰ってしまった。
そして、仲間に向かって、
「長年思っていたことを、ようやく果たしました。評判以上に尊いお宮でした。
それにしても、あの時に参拝の人たちが皆、山に登って行きましたが、山の上に何事があったのか。
気にはなったけれど、神へ参るのが目的なのだと思って、
私は山の上までは見物しませんでした。」と言ったそうだ。
少しのことにも案内者は持ちたいものである





































寺田屋は伏見の船宿。文久2(1862)年4月23日,薩摩藩急進派有馬新七(1825~62)以下35名が関白九条尚忠(1798~1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり,有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬(1836~67)も伏見奉行所の捕方に襲われたが,難を逃れた。この石標は,度々維新史の舞台となった寺田屋を示すものである。寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し,現在の建物はその後再建したものである。





