2009年 12月 05日
秋の京都 平安京の陰編
何度行っても、何日滞在しても行きたい場所が尽きることはありません。
あてなく片っ端から見て回るという手もありますが、
春まで文学部史学科に籍を置き平安時代オタクだったおねえちゃんの影響で
いつも平安時代に関連した史跡を訪ねることにしています。
今回たくさんの観光客の皆さんと一緒に市バスを降りたのは“清水道(きよみずみち)”の停留所。
当然のように清水寺へと向かう皆さんとは反対方向に進んだところにこのお寺はありました。
六道珍皇寺
優美で雅な(と、思われている)平安時代にも
当然人々の死は訪れます。
このお寺のあたりは六道の辻と呼ばれ、
この世とあの世の境目とされていました。
ここあたりから清水寺の東に人々は、
風葬というか死体を棄てたというか・・
平安の人々にとってはここから先はもうあの世の領域だったのですね。
六道珍皇寺の本堂の奥には地獄とつながっているとされる井戸もあります。
普段はちっこい窓から見るだけで近寄らせてくれないから
カメラで無理やりアップにしてみましょう。
この井戸を使ってこの世と地獄を行き来し、
時の朝廷と閻魔大王の両方に仕えたと言われるのがこのお方
小野篁(おののたかむら)卿
前に訪れた清明神社の安倍の清明とは物語の中では敵役に描かれることが多いこの方は
変わりもので通っていた人でもあるようですよ。
遣唐使に選ばれながらその制度を非難するような詩をよんで
流罪にされた人でもあります。
百人一首にある
“わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと
ひとには告げよ あまのつり船”
はその時に詠まれた歌だそうです。
こちらが地獄の閻魔さま
こちらも同じお堂の中に篁さんと並んで安置してありますが、
ふたつとも普段はちっこい穴からしか見られません。
間近で拝見したい場合はお盆の時期の公開の時に来るしかありませんね。
でも、お盆の時にはご先祖様を迎えるため、
あの世にまで聞こえるというこの鐘を突くために
京の人々が列をなします。
日常の中に信仰が溶け込んだ人たちの行いを
観光気分で邪魔をするのは控えたいものです。
六道の辻には亡くなった女の人が残した子どものために飴を買いに通ったという
幽霊子育飴を売るお店があります。
飴はお砂糖を溶かして固めただけ・・というべっ甲飴風の素朴なお味。
子育てではなく、
増えた体重を何とか減らそうとするわたしが
食事を我慢する時のなぐさめになりましたとさ。
六道珍皇子のすぐそばには、これまた平安時代からつづく六波羅蜜寺があります。
ここは社会の教科書でもおなじみの空也上人の像が(ウィキ)あります。
この日秘仏の観音様もちょうど公開中。
その他国宝、重文さまざま、ゆっくり鑑賞させていただきました。
(撮影禁止)
陰陽道に支えられた平安京。
疫病、天変地異、気候変動・・
その頃の人々には今よりもこの世は恐ろしいもので満ち満ちていたことでしょう。
陰の部分の平安京には
人々の切実な平穏な毎日への祈りと願いを感じます。
京都まだつづく・・・かも
by michirudesu
| 2009-12-05 18:28
| 京都な日常