菅原道真公を偲んで数ある天満宮をまわってみる。(前半)


京都 北野天満宮


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全国に数ある天満宮の総本山、
・・・じゃなくて、総元締め?
じゃなくて、・・・なんて言うんだろ???

・・・とにかく、数ある天満宮のたいていはここから御霊分けされている、
そういう神社であります。



京都市内にも天満宮と名のつく神社がたくさんあり、
前々から少しずつ訪れていたのですが、
今回、ちょっと集中的にまわってみよう・・・
ということで、出かけてまいりました。









まずは当然、その北野天満宮から・・・



楼門


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北野天満宮はご存知、菅原道真公をおまつりした神社。



道真公は無実の罪で大宰府に流され、その地で憤死しますが、
その後都では彼を罪に追いやった関係者たちが次々に亡くなるなど怪事件があいつぎ、
あげくにとうとう内裏の清涼殿に落雷。
多数の死者を出すという事件まで起こります。

これはもう、道真公の崇りにちがいない・・
と、恐れられていたある日、

平安京の片隅に住んでいた娘、多治比文子(たじひのあやこ)や
近江の国のとある神社の息子の元にお告げがあり、
この辺りに祀られたのがはじまりとされます。




現在の本殿は現在の本殿は1607年、豊臣秀頼公によって造営されたものです。




こちらは三光門。


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三光とは日、月、星を表しますが、
この門の上部に日と月の彫刻はあるけれど星は見当たりません。
星は内裏からこの門を見ると真上に輝く北極星なのだとか・・






天満宮といえば牛さん。


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菅原道真公は丑年だ・・とか、
亡くなったのが牛の日だ・・とか、
九州から彼の遺体を都へと運んでいる途中、牛が座りこんで動かなくなったとか、
(そこが太宰府天満宮のはじめ)
いろいろ言われております。


なでると頭がよくなるそうですよ。。。





いつも修学旅行生や観光客でいっぱいですが、
本殿裏に回ると意外に静かです。


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・・・て、ここまでで気づいておられましたか、

写真がですわ。。。。



はい、きのうは息子を伴って、真面目に合格祈願をしてまいりましたので、
観光気分はなし。
パチパチ写真を撮って回るなどは遠慮いたしました。。。。





ま、それはさておき、

境内の奥には、最初に道真公をお祀りするようにお告げを受けたという多治比文子を祀る社もあります。


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文子さんといえば・・・

彼女は道真公から
「わが魂を右近の馬場(今の北野天満宮辺り)に奉れ」
と、お告げを受けたのですが、
そんなこと急に言われたって、貧しい娘にはどうしようもありません。

仕方なく、最初は自分の家に祠を建ててお祀りしておりました。





それがここ、下京区にある文子天満宮のはじめです。


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なのでこの神社には、

天神信仰発祥の地の石碑や・・

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道真公が大宰府に流される際、途中で腰かけた石

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なんていうのもありました。











さて、菅原道真公ですが、

京都市内には、“ここが生誕の地だ!!”という場所が、なぜか3個所もあるのです。



まずは仏光寺通りにある 菅大臣神社


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ここは菅原道真公の邸宅である紅梅殿や白梅殿、
それに菅家廊下(かんけろうか)といわれた学問所の跡があった所です。





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道真公が大宰府に流された時に彼を慕って飛んでいったという『飛梅』がこちら。


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邸宅があったのだから、そこでお生まれになったのは当然・・・
ということだけでもないでしょうが、
きっちり生誕の地だということを主張されています。


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お屋敷は今のこの神社の敷地よりはるかに広大だったので、
紅梅殿の跡地は少し離れた場所にありました。


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よく見ると、鳥居の額に『紅梅殿』の文字がありますね。











二つ目は京都御苑、下立売御門の向かいにある 菅原院天満宮



平安時代の初期、
菅原道真の父是善、祖父清公、曽祖父古人の三代にわたり住んだ屋敷跡と伝えられ、
世に「菅原院」と呼ばれていました。




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ここは道真公が産湯を使ったという井戸があります。


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じっと見てたら、神社の方が出てこられて、
『井戸の周りの石は平安時代のものですよ。』
と、教えてくださいました。


ふむふむ、これが、平安時代の・・・


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さらに、この灯籠は道真公が愛されたものだという・・・


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どう見ても新し・・・・あわわわ・・・











三つ目はぐっと南に下がって、南区にある 吉祥院天満宮


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道真公の祖父清公卿は遣唐使の命を受けて唐へ渡航中に暴風にあいます。
けれども船上で吉祥天女の霊験を得て無事に唐にたどり着くことができました。
なので帰国後、自邸内にお堂を建て吉祥天女をまつったのがはじめ。





ここも生誕地だとこうやって主張されており、


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道真公のへその緒を埋めたという胞衣塚(えなづか)も・・。


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ほほう、ここにへその緒を・・・


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あと、道真公が姿を写したという鏡の井や、
幼いころ手習いに使ったという硯の水もありました。


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硯の水については、この神社からさらに南に500メートルほど行ったところ、
街中の空地の隅に石碑があり、


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                 菅丞相硯之水(かんじょうしょうすずりのみず)碑



ここに湧き出す水を硯に入れたところ、道真少年の「書」が上達したと伝わっています。

今は水が枯れていますが、昔は書初めに用いる水を求めて訪れる人があったといいますから、
吉祥院天満宮の境内の硯の水は、ここからなんらかの形で移転させられたのでしょうかね。







吉祥院天満宮は平安時代、文章院(もんじょういん)・・今の大学のようなところ・・
があった所でもあり、その石碑もありました。


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今はこんなに新しい文章院。


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当時も学問を修める機能の他に関係者のための儀式や宴会も行われていたというから、
これでいいんですよね。









ところで、天満宮。
お告げによって文子さんが祀ったのが最初かと思っていたら、
ここも朱雀天皇の勅命により創建された最初の天満宮であるといわれています。




生誕の地もいっぱいあるし、ここが最初・・というところも複数ある。
どこがホントだ! と白黒、決着をつけたくなるところですが、


そんなこと、決めんかてよろしやないですか。。。
全部ほんまのことなんどす。




ていうのが、京都の奥深いところなんどすなあ。。。







後半につづく・・・・・・







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by michirudesu | 2012-07-05 11:33 | 京都な日常 | Comments(0)

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