織田信長を祀った神社を訪ねる。


建勲神社  ご本殿。


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ここは、織田信長公を祀った神社です。

天下統一を前に本能寺で敗れたの信長公の霊をなぐさめるため、
次代の権力者、豊臣秀吉がこの地に寺を建立し信長像を安置しようとしましたが、寺の竣工は中断。
時を経てその後、明治天皇の下命により神社として創建されました。





織田信長が好んで演じたという幸若舞、『敦盛』 の一節をかいた碑。


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人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか




・・・て、今の今まで、「人間(にんげん)50年」と思ってたけれど、
「人間(じんかん)50年」だったのね。

ずーっと、
人間なんて所詮50年くらいしか生きられないのだから、
すべての出来事は幻のようなものだよ・・・っていう意味だと思ってましたわ。




下天というのは、六つの天界のひとつ。
そこでの一昼夜は人間界でいうと50年の長さに当たるとされる。

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」の正しい意味は、
「人の世の50年の歳月は、下天であれば一日にしかあたらない」である。

                水色部分 WIKI  より抜粋  



・・・だそうです。

いや、思い込みというのはおそろしいものです。


そういえば、この神社の名前も、ずっと建勲(けんくん)神社だと思っていましたが、
本当は建勲(たけいさお)神社。


ほんと、思い込みというのはおそろしい。。。。










こちらは拝殿。



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内側に織田信長公の三十六功臣のうち十八功臣の額を飾が飾ってあります。




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本殿から境内を見下ろしてみる。



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よおく見ると、真ん中の山に木が生えてない部分が見えますが、
それが東山の大文字です。



神社の入り口に立つ鳥居は木造で、京都府で最大。



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ところで、この建勲神社があるのは、船岡山(ふなおかやま)という山の上。


こちらが船岡山の頂上です。



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標高は112メートル。
山というより、小高い丘って感じですね。



頂上から見る京都市内。



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この大文字は建勲神社から見た大文字の反対側の山、ひだり大文字。


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この船岡山は四神相応の玄武にあたる平安京のかなめ。




『青丹よし』と歌われた平城京からの遷都を思い立った桓武天皇は長岡京を造営しますが、
造宮使の藤原種継が暗殺されるという事件が勃発。
桓武天皇の弟、早良親王もこの叛逆に加担していたと疑い、彼を淡路島に配流します。
早良親王はその地で憤死。

しかしそれ以来、桓武天皇の母親や妻が死亡したり、天変地異が頻発することになり、
早良親王の祟りを恐れた桓武天皇は都を平安京に再遷都することを決意します。

その際、怨霊たちから都を守るために、
中国の風水である四神相応思想をとりいれたほか、
鬼門に配した比叡山延暦寺、
各御霊を祀る上御霊神社、下御霊神社、陰陽道などなど、
ありとあらゆる方法で守りを固めたともされています。
(一説には)
   




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四神相応思想では、

   東(青龍)大きな川・・鴨川

   西(白虎)大きな道・・山陰道 

   南(朱雀)大きな海、池・・小椋池

   北(玄武)大きな山・・船岡山

が、それぞれ対応するといわれています。
(いろんな説あり)




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ここは五山の送り火のうち四つまでを一度に見られる地でもあります。

平安京の要の地、
天下統一のために京を目指した信長が祀られた地は、
現在でも京都の要の地といえるのでしょう。






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by michirudesu | 2014-03-15 18:12 | 京都な日常 | Comments(0)

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