京都、東山七条近辺を歩く(豊臣秀吉編)


いきなりですが・・・



ジャーン!!

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京都に通い続けて10年。
やっと見つけましたよ。

クローバーがトレードマークのヤサカグループのタクシー、千なん百台の中で、
わずか数台しかないという『四つ葉のクローバー』のタクシー


なにかいいことあるかなあ・・・。








・・というわけで、今回は東山七条あたりをうろうろしてきたのですが、
まずは縁起のいいタクシーにあやかって、
絢爛豪華と大出世のイメージがある豊臣秀吉さんゆかりの場所をまとめてみましたよ。






まずは、豊国(とよくに)神社。


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亡くなって神さま「豊国大明神」となった豊臣秀吉を祀っています。
(家康が廃絶したけれど、明治になって再興。)



こちらの唐門の奥にご本殿があります。


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この唐門は元は南禅寺金地院にあったもので、再建の時にここに移築されました。
その金地院の前は二条城、さらにその前、もともとは伏見城にあったとも。





扉には鯉の滝登りの彫刻。

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欄間の鶴は“目なしの鶴”と呼ばれています。
あんまり見事なので目を入れると飛び去ってしまうからだそう。


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唐門の奥のご本殿はちらりとしか見えませんが・・

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お正月の三が日は唐門をくぐって参拝することができるそうですよ。
くぐると出世できるそうな。。。









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門の横に立つ石灯籠は武将たちが寄進したようで、
その名前が掘られているようなのですが・・・



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あんまりよく見えません。。。







こちらは宝物殿。


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重要文化財の豊国祭礼図屏風などが納められています。

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(絵葉書を撮影)




豊国神社の境内には秀吉の桐の紋や馬印の瓢箪関係の物があちこちに・・・・



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さて、亡くなって神様となった秀吉ですが、
ご遺体は東山の阿弥陀が峰に葬られました。



この鳥居の奥に見える山が阿弥陀が峰。


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では、そこに行ってみることにしましょう・・・

て、・・・・







秀吉のお墓、豊国廟は500段のこの階段の上!!


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死ぬかと思った。。。。

出世の神様のお墓に参って、転げ落ちてたらシャレにならんぜよ。。。


疲れ果てたので写真は一枚だけ。


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ところで、豊国神社の隣にあるのが方広寺。


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こちら、現在の本堂。




ここにはかつて秀吉が建立した巨大大仏がありました。

巨大も巨大、その大きさは奈良東大寺の大仏よりも大きくて、
高さが6丈3尺(約19m)あったといいます。

今はご本堂にその10分の1の大仏様がありますが、
それを見て10倍を考えてみても、大きすぎて想像ができない。。。。






大仏は完成したばかりの翌年、慶長伏見地震によって倒壊してしまいます。
このとき秀吉は「自らの身をも守れないのか」と大仏に対し大激怒。
大仏の眉間に向けて、矢を放ったとか。



その後大仏再建はあまりに巨大なためになかなか進まず、
やっと、あとは金箔を押すだけ・・とまで出来上がったときに、
同時に作成を進められていた梵鐘に家康がイチャモンをつけたあの有名な事件が起こります。




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徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とするとは何事!と家康が怒った、
「国家安康」「君臣豊楽」の字が見えるかなあ。。。



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結局大仏は完成することなく豊臣家は崩壊。
この大仏自体も江戸時代の落雷による火災で焼失。
以後同じ大きさで再建されることはありませんでした。






今は遺物がこれだけ。


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さて、それだけ大仏が巨大だったのだから、
当然大仏殿もチョー巨大。

東西約55m、南北約90m。
今の豊国神社の場所も、博物館のところも、
ずーーっと続く石垣でその大きさがわかります。



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石垣に使われている石そのものも秀吉の好みを反映してか巨大ですよねぇ。
秀吉に命じられて寄進した諸将の家紋が刻まれているのもあるらしいです。








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前田加賀守が運んだ北の端のこの石は泣き石と呼ばれていますが、
あまりに大きくて運ぶ経費がかかりすぎてさすがの前田家も泣いたからだとか、
毎晩、加賀に帰りたいと石が泣いたからだとか・・


点々の穴は、石を割ろうとした跡か???





もっとも、この石垣の石、京都博物館の調査によると、
奥行きはそれほどでもなく、見た目ほど大きくはないそうです。

要はできる限り大きく感じられる向きに岩を積んでいるわけで、
ここにも物事を効率的に考えることに長けていた秀吉らしさが現われているかのようです。
青字 京都国立博物館のHPから)



石垣は裏側にやや小型の石を詰める裏込(うらごめ)という技法でつまれているようですが、
小型の石だけではなく、石仏や石塔もたくさん詰め込まれており、
そんなものまで詰め込んでしまうところは秀吉らしいのか、そうでないのか・・・







博物館の調査の時に出てきた石仏がたくさん博物館の東の庭に並べてありますが、
今も石の間でお祀りされている石仏もありましたよ。


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最後に・・・
いろんな名前がついた京都の道の中に『正面通り』というのがあります。
なんの正面かというと、この大仏殿の正面・・ということなんですね。



豊国神社から正面通りを眺める。

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その正面通りに向かって歩き出すと、すぐ左に小山が見えてきます。

それが耳塚。



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秀吉が朝鮮出兵したときに、
討ち取った朝鮮人や明国人の耳や鼻をそぎ落として持ち帰ったものが埋められています。



うーむ・・・・

戦で打ち取った武将の首を持ちかえるのが当然のその時代とはいえ、
なんとも残酷。。。。













おまけ・・・


秀吉とは関係ありませんが、
正面通りにはこんなレトロな建物も・・・


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玄関には・・・



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おお、ここはあの任天堂の発祥の地でありましたか。

土台の装飾もなんだか素敵。



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長々お付き合いありがとうございました。

今回歩いたところは次の通りですよ。











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by michirudesu | 2014-08-29 20:30 | 京都な日常 | Comments(0)

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