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京都の陰

平安時代から連綿と続く京の都は
きらびやかな昼間の面の裏側に
魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する
        ひゃあ、すごい漢字や!絶対に書けヘンわ。。
陰の面もあわせ持っています。



そんな、ちょっと不気味さを感じるようなスポットをひとつ。


帷子辻(かたびらつじ)

京都の陰_e0033713_1047556.jpg
嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子(たちばなの かちこ)は仏教の信仰が厚く、檀林寺を建立したことから「檀林皇后」と呼ばれた。

伝説によると、檀林皇后はすばらしい美貌の持ち主でもあり、恋慕する人々が後を絶たず、修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされるほどであった。

深く仏教に帰依していた皇后はこうした状況を憂い、
この世は無常であり、すべてのものは移り変わって、永遠なるものは一つも無い
ということを自ら示して人々の仏心を呼び起こそうと、
死に臨んで、自分の亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと遺言した。



遺言は守られ、皇后の遺体は辻に遺棄されたが、
日に日に腐り、犬やカラスの餌食となって醜く無残な姿で横たわり、白骨となって朽ち果てた。

人々は世の無常を心に刻み、僧たちも妄念を捨てて修業に打ち込んだという。
皇后の遺体が置かれた場所が、以後「帷子辻」と呼ばれた。

                              写真・文 ウィキより
 






人間がその死後、いったいどのような経過をたどって朽ち果てていくのか
そのことを、克明に観察して記録した
九相図(くそうず)というものがありますが、


京都の陰_e0033713_10564657.jpg

                       檀林皇后九相図  京都市 西福寺蔵




もともと、鳥辺野、あだし野などは平安京都の風葬の地。
そこに打ち捨てられた死体は生前の美醜にかかわらず、
みな同じ経過をたどったのでありましょう。













さて、さんざん脅かしといてナンですが、
現代の帷子辻は、こうでしたよ。


京都の陰_e0033713_117425.jpg

                 うっ、知らずに写ってた救急車がコワイ。。。。。




わざわざ見に行ってる私も私なんですけどね・・
現代の『帷子の辻』は、なんということのない普通の交差点でしたわ。



こちらが嵐電の帷子の辻駅

京都の陰_e0033713_1112279.jpg



それがどうした!でしたね。
すみません。。。。。













さて、不気味・・というか不思議ゾーンをもうひとつ。


嵐電に乗ってまたひと駅、ふた駅で降りると
木島(このしま)神社という神社に行くことができます。

京都の陰_e0033713_11291777.jpg



この地は、かつて秦氏が陶芸や養蚕の技術を持ち込んだ地。

この神社の中にも蚕を祀った蚕養(こかい)神社があり、
蚕の社(かいこのやしろ)と呼ばれることも多いです。




・・と、それはそれとして、ここには不思議な三本脚の鳥居があることで有名です。


京都の陰_e0033713_112912.jpg




神さまに通じる入り口ともいえる鳥居。

それが三本というのは、どちらから見ても正面になるように・・とも受け取れますが、
これでは入ったら出口がないではありませんか。

しかも真ん中に御幣・・・

まるで何者かを封じ込めているかのような・・



さらにまわりには竹囲いに御幣付き。

京都の陰_e0033713_11365799.jpg





観光客が近付かないようにだとも思えますが、

近づかないようになのか、出られないようになのか・・・





京都の陰_e0033713_11385592.jpg



そんなことを考えながら
うっそうとした暗い神社の森のなかにいると、

ブルブル・・

なんだか背筋が寒くなってくるのでありました。














皆さんも行かれるなら、ぜひ夕方にどうぞ。

     ・・て、怖がらせてどうする!!





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by michirudesu | 2011-03-02 11:46 | 京都な日常


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