2013年 08月 25日
京の六地蔵めぐりを私もやってみる。
平安時代に嵯峨天皇や仁明天皇に仕えた方で、承和元年(834年)に遣唐副使にも任ぜらています。
ちなみに渡唐は2回にわたって失敗。
3回目には破損した第一船と篁が乗る第二船を取り換えられることになり、
それに反対して乗船を拒否。
嵯峨天皇の怒りをかって、隠岐に流されています。
百人一首の
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人のつり舟
大海原うかぶたくさんの島々。
その島から島へ漕ぎ出でて追われて行ったと都の愛しい人には伝えておくれ、
釣り船の漁師たちよ。
・・の歌はその時に詠まれました。
六道珍皇寺 小野篁像
実はこの篁さん、
夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたといわれています。
これが六道珍皇寺にあるその井戸。
ほほう・・、なんて感心しているアナタ・・・
んなわけないっしょ!!
まあ、政務能力や書、和歌などすべてに秀でていたので、
超人的なところがあるように思われたのでしょう。
さてその小野篁さんが大病を患い瀕死となったとき、
地蔵菩薩が地獄の罪人といえども慈悲の心で救うのを目の当たりにし、
それに感激。
一本の桜の大木から六体の地蔵像を刻んで伏見の地に安置いたします。
その後、後白河天皇が都の守護や旅人達の安全を願って、
都の入り口六ヶ所にそれらを一体ずつまつることを平清盛に勅命。
都の端々、六つの街道沿いに地蔵尊がまつられることとなったわけであります。
(六地蔵会発行 六地蔵縁起より)
・・・・て、やれやれ、やっと本題に。
というわけで、その六地蔵をめぐってきたという話です。
(まわる順番はいろいろといわれているようですが、私が回った順に書いてます。)
徳林庵(山科地蔵 東海道)
大善寺(伏見六地蔵 奈良街道)
ここが発祥の地。
鐘楼は徳川二代将軍秀忠の娘・東福門院が寄進。
天井に菊の御紋と三つ葉葵の御紋が・・
上善寺(鞍馬口地蔵 鞍馬街道)
ここは明治の始めのまで、深泥が池の辺にあったのだそうです。
浄禅寺(鳥羽地蔵 西国街道)
源光寺(常盤地蔵 周山街道)
地蔵寺(桂地蔵 丹波、山陰街道)
まわったお寺の場所は次の通りです。
しかし、京の守りでもあるので町を囲むように周りに配置するのは当然ながら、
ひとつずつを回るのは大変。
地下鉄を使ってまわることにしたのですが、
縦横端から端まで、ほとんどすべて乗りましたわ。。。。
それに地下鉄を下りてからがまた、思ったより遠い。
この暑さの中、私はヘロヘロ。
二つめ辺りでもう倒れそうでありました。
それで最初の日は五つでギブアップ。
六つめの桂地蔵は次の日になり、体力の低下を実感する羽目に・・。
でも行く先々で出あったお年寄りはみんな、
暑さをものともせず元気にお参りをされていた様子。
ほんま、負けそうでありました。
京のお年寄り、おそるべし!!
by michirudesu
| 2013-08-25 19:03
| 京都な日常