2014年 10月 05日
京都市内に前方後円墳?!
どこを掘っても遺跡が出てくるという京都。
啼くよ鶯 平安京・・・
桓武天皇による平安京遷都以来1000年以上にわたって都であり続けた町なので、
町の下に長い歴史の痕跡が眠っているのは当然といえば当然のことであります。
しかしながら平安京以前の京都ことを考える人はあまりいない。
山城国と呼ばれていたその頃の京都、
西部で強大な力を持っていたのが中国大陸から渡来していた秦氏(はたし)。
先進的な土木技術で葛野川(かどのがわ・今の桂川)一帯に広大な田園地帯を築き、
さらに卓越した養蚕と機織りの技術で作り上げた絹を山のように朝廷に献上した。
(うずたかく積み上げられた様子から地名が太秦(うずまさ)になったとも。)
・・・て、なにゆえいきなり秦氏の話かといえば・・
京都市内にある古墳の話なんですねぇ。。。
以前に行ってみた太秦の蛇塚古墳(へびづかこふん)につづいて、(記事はこちら)
今回は天塚古墳(あまつかこふん)というところに行ってみましたよ。
蛇塚古墳も町のど真ん中(・・ていうか町がそれを囲っている??)でしたが↓、
今度も町の中、
拡大・・・
ほーら、見るからに古墳!って感じじゃありませんか!!
前方後円墳。
そう、先ほどの秦氏のお墓です。
古墳の周りをひとまわりできます。
なんか、ちょっと怖い・・・・
石室の中にも入れます。
天井・・・
中から外を見てみる。
・・・とひとまわりしたところで、さっき鳥居のところで草刈りをしていたおじさんが、
『ここは石室がふたつあるんやで。』と。
なんともう一つの石室は家の中というか、社務所の中。
おじさんがガラガラって感じで扉を開けて見せてくださいました。
明治20年に発掘調査がおこなわれ、
鉄轡や鉄製馬具の破片、銅鏡、勾玉などの副葬品がたくさん発見されたそうですが、
『古墳やから辺りを掘るとこんなんがでてくるんやで』と、
みせてもらった埴輪のかけら??
大昔すぎて、なんだか想像しにくいですが、
古代への思いにしばし浸れる地でありましたよ。
ちなみにこの古墳のお山、
私有地だそうです。。。。
by michirudesu
| 2014-10-05 17:33
| 京都な日常